本と旅とそれから 親鸞 激動篇/五木寛之

本と旅とそれから

親鸞 激動篇/五木寛之

先日読んだ「親鸞」の続編。
奥付を見ると、こちらの出版は今年の一月。結構最近です。
そしてどうやら、小説はまだ続く。

この「激動篇」は、流刑になった親鸞聖人の、前半は越後、後半は常陸での日々を描いています。京都が舞台の前作より、おそらく一層、五木さんの想像力の産物の割合が大きくなっていると思います。
聖人さまといえども、迷い、苦闘する日々を重ねられたのですねぇ。
「親鸞 激動篇(上)」「親鸞 激動篇(下)」

親鸞 激動篇(上)(下)/五木寛之
(講談社)


親鸞聖人、大変、今ふうで身近な人物像です。
日々、迷いや疑いや自己嫌悪などで悶々としつつも、心の中の法然上人やこれまでの人生で出遭った光ある瞬間などの記憶に励まされ、少しずつ前へと歩んで行く。
「激動篇」に描かれるのは、親鸞(アバウト)40~60歳の日々です。

しかし私も、是非ともいっぺん、親鸞聖人の法話をライブでうかがってみたかったなぁ。
こればっかりは、いくらありがたかった、心を打たれたと描写されても、「へぇ、そうだったんだー」としか思いようがありませんもの。本物のパワーに接してこそ、唯円(最後の方に出てくる人物で、親鸞の話に感動して、平伏して泣いて弟子入り志願する人)みたいな行動に出ることもあろうかというもの。

――でもまあ、考えてみれば、ライブで親鸞の声を聴けた人なんて、同じ時代に生きた日本人の中にもそうはいなかったんだろうから・・・やっぱり、親鸞固有のカリスマ性は、彼が広めた専修念仏の教えにおいては、不可欠要素だったわけではないんでしょうかね。

宗教というのは、個人のレベルではその個人の境遇や経験などと深く結びつく場合が多いと思うけど、社会的に大きな勢力となるには、時代の求めるものにかなっているかということが大きいのでしょう。
だから敢えて言えば、今の世の中に法然や親鸞が生まれたとしても、平安、鎌倉の昔ほど人々の間に浸透することはなかっただろうなと思うのでした。・・・無意味な仮定の話ですけど。

今の世の中って、大きくなれるかどうかはとにかくマスコミ次第ってとこありますものね。
あ、あと最近ではネットの使い方次第でもありますか。
そう思うと、ほとんど口コミだけで無数の人の心をつかんだ法然とか親鸞という人たちはホントにすごい。
それがつまり、彼らの説くところが、時代の求めていたものなのだっていうことなのでしょうが。

存在しないものでも、存在すると心から信じることができれば、存在する。

そのパワーのすごさは、感動的であると同時に、ぞくっとくるほど恐ろしいものにも思えるのでした。


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  1. 2012/10/01(月) 22:00:00|
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