本と旅とそれから 伽羅の香/宮尾登美子

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伽羅の香/宮尾登美子

ここのところ、宮尾登美子さんの作品をちょっと続けて読んでいます。
にしてもホント、読んでないのが多かった・・・。多作な作家さんだということもあるけれど。
これから読む楽しみがあるからいいんですけどね♪
「伽羅の香」

伽羅の香/宮尾登美子(中公文庫)

最近読んだ宮尾作品のテーマは、西陣織、茶道、日本画などでしたが(任侠てのもあったか^^;)、今回は香道。お香の世界です。
で、読んでいる間もしょっちゅううなってましたが、読み終えて最初の感想が、「世界が違う!」でした。そう、任侠の世界も「違う」と思いましたが、ある意味、方向はかなり違うものの距離的にはそれと同じくらい離れていると感じられる世界の物語でした。


何てお金のかかる遊びなんだ、お香って。
いえもちろん、入門レベルならそんなこともないようで、そういえば私も何年か前に、ブログ友だちに誘ってもらって源氏香の催しに参加したこともあったのでした。その時は別にお金のことなんか気にすることもなかったんですが、極めるとなると、どうやら話は全然別。

どんな芸事でも、極めるとなればそれなりにお金がかかるものでしょ、と言われるかも知れませんが、香道は別格の観があります。
なぜなら、この道を極めんとする人は、貴重な香木を、たとえ少量でもよいから持っていなくてはならないというのですから。その貴重な香木の代表格が、蘭奢待(「らんじゃたい」で一発変換できてビックリだ~)。件の源氏香の催しの時に、銀座のお香店の方が香道というものについて軽い説明をして下さったのですが、その中で唯一私の頭に今でも残っているのが、その蘭奢待に関する部分です。

蘭奢待といえば、現在は正倉院に収められている宝物。切り取ってお香として焚いた記録が残っているのが足利義政、織田信長、そして明治天皇だというすごい物。
蚊の脚ほどの大きさでも強い芳香を放つとはいえ、一度焚いてしまえばその分の香木はなくなるわけで、そうした世の中にごく限られた量しか存在しない超希少物を、少しずつ消費しながら究めていくのがお香の道なのです。

主人公・葵は、三重県で炭焼きで財を成した大金持ちの家のひとり娘。
実家は巨万の富を蓄え、山林も持ち、生れてこのかたお金の心配などしたことのない身の上。いえ、「お金の心配をしたことがない」なんて表現じゃ収まらないくらい、金銭感覚そのものが庶民とはかけ離れている身の上です。

が、一方、お金では買えないものを見てみれば、この人は、そもそもが一人っ子で兄弟姉妹(ですから当然、甥姪にも)に恵まれず、恋い焦がれた従弟・景三とめでたく夫婦になって二人の子供に恵まれたのも束の間、夫、実の両親、そしてしばらくの後には二人の子供たちまで次々と病気のために失ってしまいます。
夫の父・貢には、子供の頃から多くの影響を受け、恋愛感情を抱いていたのではないかと思うほど心を寄せていたのに、その義父も呆気なく亡くなり、しかもその遺書には、自分に妾腹の娘がいることと、夫・景三にも生前不倫相手がいたことが書かれていたのでした。

うーむ、この遺書のくだりはさすがに「これはひどいわ~!」と思いました。義父は、葵が夫の不倫を知りながらそれを寛容に許していたと思っていたんですね。しかも、その不倫相手というのが、葵の学生時代の親友で、ひと頃は景三を巡って恋のライバルだった財閥令嬢ときてます。
ところがこの令嬢・逸子は、いったん景三を捨てて人も羨む結婚をしたものの、すぐに離婚、実家からも勘当されて、葵が不倫の事実を知った頃には結核のためにひとり療養所で死に瀕しているのでした。

――と、物語のあらすじを延々書いてもしょうがないんですけど、いや~、これはすごい打撃ですよね、たとえどれだけ大金持ちの人にとっても。
主人公・葵は、この死に瀕した逸子を見舞いに訪れるんですが、二人の対面の場面は、大変静かな文章で綴られているにもかかわらず、ものすごい迫力を感じました。死んでいこうとする者と健康な者。健康な者の方が勝者だろうと思うところですが、死に瀕した女は、二人が争った男の愛は自分にあったと断言する。そうなると逆に、愛を抱いて死んでいく者の方が勝者なのか・・・。

結局のところ、勝敗を決めてくれる第三者がいるわけでもなし、葵は逸子の言葉に多くの嘘を感じて心の安定を図ることになります。
悪いのはそもそも、義父の貢じゃないですかね。景三が死んでしまって、真相を確かめようがなくなってから、こんな話を持ち出さないで欲しいものです。

葵は、山賤(という言葉を葵は使うのですが)出身の実の両親より、洗練された教養人の義父(血はつながらないながら叔父でもあるのですが)・貢に強い結びつきを感じるし、そもそも彼女が香道に入るのはこの義父の導きあったればこそ、なのですが、何となく・・・この人ってどうなのかしら~。

東京で暮らし、上流階級の人々と交わるようになったために、財産はあっても身分のない自分を恥じ、葵は三重の故郷とのつながりをズバっと断ち切ってしまいます。
このくだりはまた岡目八目的読者たるワタクシは「オロカモノ~!」と思いながら読むわけですが、一方で、このあたりの感覚に、時代の隔たりを感じたりもします。都会人が美しい自然や癒しを求めて田舎に行きたがるっていうのは、最近の話ですからね。田舎に生まれ育った人が、都会で暮らしたいがためにどれほどの苦労をしたかという話も、ちょくちょく聞いた気がします。

年を経て、またしても大きな失意を味わった葵が、東京でのすべてを捨て、自分の命の最後を見つめつつ再び故郷に帰っていくというラストは、悲しいような、ある意味でハッピーエンドのような気がしました。
それにしても、東京を引き払うに際して、五反田の一等地の1200坪の土地・建物を、ポンとお寺に寄付しちゃうっていうのがまた、どんだけお金持ちなんだ、と呆気にとられます。
ちなみに、葵には実在モデルがおり、このお寺に寄付の話も実話で、その場所は現在も奈良薬師寺の東京別院として存在して、お香のお稽古などされているようです。

それにしても、後半に登場するお公家さん・姉小路実兼という人物には、呆れ果てます。お公家さんというのもこれまた別の意味で違う世界に住む人種なんだな、とあらためて思います。
戦後、かつて貴族であったという誇り以外は財産などすべてを失い、とても貧しい暮らしをおくらざるをえなくなった元公家というのが多かったという話は聞いたことがありましたが・・・。
なんか、感覚が違うんですよね、いろんな意味で。

歴史ものなど読むと、身分の高い人々はかつて、トイレに行くとお付きの者にお尻をふいてもらったという話が書かれていることがちょくちょくありますが、それを読んで「この人たちの羞恥心ってどういう構造をしてるんだ」と思ったものでした。
それに近いものを感じます。

他人から金品を恵んでもらって何とも思わない。その程度がとんでもない。
襟の汚れたワイシャツを平気で着ていて、それがあまりにみすぼらしいので、あかの他人がシャツを贈ってくれる――ふつうの人だったら、恥ずかしくて受け取れないと思うのですが。
そのお公家さんの先祖が香道の祖とつながっているということから、葵お香の手ほどきをして免許皆伝まで世話し、その間の生活のすべてを面倒みたというのに、自分が香道の師範として独り立ちできるようになったとたんに、葵を捨てる。
そしてそのすべてをまるで悪意なく、当然のことのように。

小説の中の架空の人物像ではあります。でも、いわゆる「元華族」という人が、ふつうの人と同様に暮らしながらも、何かというとかつての身分からくるプライドみたいなものをにじませる、という例を実際に知っているだけに、この実兼という人物についても、私にはいかにもリアルに感じられ、怒りとも苛立ちともつかないもやもやした気持ちを感じました。

――違う世界に住む人々の、華やかで悲しいお話でした。


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