本と旅とそれから 等伯/安部龍太郎

本と旅とそれから

等伯/安部龍太郎

「とっぴんぱらり」は年末から読んでいたので、まあ言ってみれば、本書が今年の本読み始め。
日経新聞に連載されていた頃から、ときどき読んでみては、単行本になったら絶対読む!と思っていたものの、図書館に入り、かつ上下巻同時に借出せるタイミングを待っていたので、ちょっと遅くなりました。でも、年末からずーっと部屋に置いて、年が明けたら読むぞ~、読むぞ~、と、楽しみにしていたんです。
「等伯」

等伯(上)(下)/安部龍太郎
(日本経済新聞社)


「とっぴんぱらり」が軽妙洒脱な数寄屋造りとするなら、本書はどっしりした書院造りとでも。最初は、時々「この言葉遣いはイヤじゃ」などとケチつけたりしながら(我ながら無礼モノ)読んでいましたが、終盤にかけてどんどんのめり込み、読み終えたときにはやはりじわじわ~っと目に涙がにじみました。


安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の人生を描いた小説です。
等伯といえば、数年前に大々的な展覧会があったのですが、行きそびれました(T_T)。何てもったいないことをしたのでしょうか。返す返すも悔やまれます。ちなみに、本書の著者・安部龍太郎さんは、その展覧会を見て大変感銘を受けたとあとがきに書かれています。
さらにその数年前には、狩野派の大々的な展覧会もあったんですよねー。それも行きそびれたよー。こちらは、等伯展以上の大人気だったという話ですが。まあ狩野派は、何しろ名を成した絵師の数も多いし、今後もあれこれ見る機会はあるだろうと思うんですけどね。

再びですが等伯といえば、私には何よりもまず智積院の桜楓図です!(昨年暮れの、スーパードライお歳暮バージョンCMで、端座する福山雅治さんの背後に映っていたのがそれです。)
中でも、桜図の方。最近、桜と梅の季節に智積院を訪れた時に見ていますが、桜の季節に見たとき(2012年春)の方が、とても久しぶりだったので強く印象に残っています。京都の素晴らしい桜をあれこれ目にした後でさえ、年月を経てくすんだ色合いになった桜の襖絵が、堂々とした華やかさを感じさせたものでした(そのときの記事は►コチラ)。

桜楓図では、等伯の担当したのは楓図の方で、桜図は彼の息子・久蔵が描いています。
で、この国宝・桜楓図を展示した智積院の宝物館で流れる説明音声が、本書の素晴らしきネタバレになっています。まあ、歴史上の人物なので、ネタバレってこともないのかも知れませんが、私なんかだと、あの宝物館で説明を聞いていなかったら、長谷川久蔵がこの桜楓図を書き終えて間もなく、20代の若さで死んでしまうことを知る機会はなかっただろうと思うんですよねー。

でも、おかげでこの事実を知ってましたので、作中、祥雲寺(智積院の前身)方丈の障壁画を描くという話が出てきたときには、「ああ、とうとう久蔵の最期は近い!」と思って悲しくなりました・・・。

この桜図は、そんなわけで長谷川久蔵がその短い人生の最後(とはもちろんその時点で誰も思わないんだけれど)に残した傑作ということになるため、久蔵=桜というイメージが強いんですよね。作中でも、この久蔵という人物が、まるで桜の化身ではないかと思わせるように描かれているところが随所にありました。
その姿の端正で、酒を呑む所作が見惚れるほど美しいこととか。美しいものを愛する心が純粋で、長谷川派から見れば敵とも呼べる狩野派の総帥・永徳のことをも、その美を生み出す力量を心から称賛する姿とか。

狩野派が他の流派をつぶす常套手段として用いたのが、他派の有力絵師を、狩野派の弟子として取り込んでしまうというやり方だったとか。長谷川久蔵も、一時期、永徳に弟子入りして腕を磨くのですが、等伯が大徳寺山門(あとで千利休の像を祀ったことで利休切腹の一因となる、あの門)の壁画を描くという大仕事を請け負ったとき、父を助けるために狩野派を抜けて等伯の元に戻ってきます。この辺りの、久蔵を巡る永徳と等伯のやり取りも緊迫感があります。

いかに久蔵が才能にあふれていたか。永徳ですら、久蔵を高弟のひとりとしてその技を教え、人間として深く久蔵を愛していた。だから、彼を手放して等伯の元に返すことがつらくてたまらなかったのです。
多くの人が、久蔵は等伯を超える絵師になると言い、等伯自身もそう思い、それが嬉しい。久蔵が26歳で死んでしまうと知っていて読むと、彼がすべてをそなえた素晴らしい若者として描かれれば描かれるほど、悲しい・・・。

それにしても、久蔵が若くして死んでしまうことは知っていたけれど、死因が事故とは知りませんでした!しかも本書によれば、その事故は狩野派によって仕組まれた陰謀だったとか。――この点については、小説の中ですらはっきりと究明されたとは書かれていませんし、史実かどうかは怪しいところでしょう。それでも、久蔵を失った悲しみと、それが狩野派の陰謀だったのではないかという憤りの念が、やがて等伯の最高傑作のひとつ「松林図」を生み出すことにつながっていく。そして松林図を描くという一心不乱の作業が、等伯に悲しみや憤りといったどろどろしたものを乗り超えさせる力となる――というのが、小説のラストに向けての迫力の場面で、ここでどうにも泣けてしまいます。

よく、誰かのことを知りたければ、その最大の敵のところに行って尋ねるのがよい、と言うでしょう。
それと似たようなことなのか、本書は長谷川等伯について書かれた小説ですが、同時にその最大のライバルであった狩野永徳とその一派について非常に多くのことを教えてくれます。
もちろん、それもどこまでが史実なのかはわかりませんが・・・。

狩野永徳を総帥とする狩野派と等伯の長谷川派が京都で勢力を争う関係だったということや、永徳が40代半ばで死んでしまうことなどは検定勉強のおかげで知っていたのですが(円山応挙のことはほとんど知らなかったけどっ!←無視して下さいマセ)、あれほど陰湿な勢力争いがあったとは~。といいますか、本書は等伯を主人公にした小説ですから、狩野派は悪役で、その描かれ方はほとんど「柳生一族の陰謀」って感じです。久蔵を謀殺したのも「裏狩野」だっていうんですから。柳生一族にもそんなのありませんでしたっけ?

なんか、でも、永徳にもちょっと同情しちゃいましたよ。
久蔵の死は永徳が亡くなった後のことなんですが、永徳が生きていたら久蔵が殺されたりすることはなかったはず。永徳は最後まで久蔵を愛していて(って、ミョーな意味でなく^^;)、まるで自分の息子を取られたような感覚を、等伯に対して抱いていたようなのでした。
また、永徳の父・松栄も登場しますが、こちらは逆に等伯自身がまだその名声を確立する前に、狩野派のテクニックをいろいろと教えてもらい、等伯は最後まで松栄を「師匠」と呼び続けます。その松栄が、息子である永徳について語る場面が何度かありますが、永徳には天才としての苦悩と同時に、京都における最大の絵師集団である狩野派の総帥である苦悩もあって、つらかっただろうなー、って感じなんですよね。

このほかにも、近衛前久や千利休、春屋宗園など、歴史上の人物がとても興味深い人物に描かれていますし、彼らと等伯の関わりも面白い。
・・・面白いけど、やっぱり等伯と久蔵と永徳・・・かなー。
あー、「松林図」見たい。切手は持ってるけど。小さすぎる。ホンモノ見たい。東博(これも「とうはく」なのが笑える偶然)が所蔵してるはずだけれど、常設展示してないのかなー。

ともあれ、年初の一作目、素晴らしい本を読むことができました!


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  1. 2014/01/10(金) 22:00:01|
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