本と旅とそれから 京の宝 未来へつなぐ 第五十回「京都非公開文化財特別公開」記念シンポジウム

本と旅とそれから

京の宝 未来へつなぐ 第五十回「京都非公開文化財特別公開」記念シンポジウム

京都非公開文化財特別公開


京都によく出かける人にはお馴染みのイベントに、春と秋に行われる「非公開文化財特別公開」というのがあります。春は桜の季節のすぐあと、秋は紅葉の季節のすぐ前、というタイミングです。主催は公益財団法人 京都古文化保存協会。
ちなみに、季節違いで似た感じの催しに「京都夏の旅」「京都冬の旅」というのもありますが、こちらは京都市観光協会が行っています。
この文化財特別公開が今回で50回目を迎えるということで、記念シンポジウムが開かれたのを聞きに行ってきました。会場は、昨年京博のシンポジウムが開かれた(記事は►コチラ)のと同じ、有楽町の朝日ホールでした。

今回も、聴衆の平均年齢はかなり高いようで・・・でも、盛況でした。

プログラムは;
〇主催者あいさつ
  京都古文化保存協会理事長 菅原信海(妙法院門跡門主)
  朝日新聞社常務取締役 持田周三
〇基調講演「心の時代 文化財の果たす役割」
  浄土門主  伊藤唯真
〇秋の特別公開見どころ紹介
  京都古文化保存協会常務理事 後藤由美子
〇パネル討論「京の宝 未来へつなぐ」
  浄土門主  伊藤唯真
  上賀茂神社宮司 田中安比呂
  冷泉家時雨亭文庫 常務理事 冷泉貴実子
  京都古文化保存協会常務理事 後藤由美子

「文化財の修復・保存にはお金がぎょーさんかかるのです!東京の皆さん、特別公開に来て財政貢献して下さい!」というのが最大のメッセージのようでした。
もちろん、その背景にある、文化財とはただの「モノ」ではない、「ココロ」が形になったものなのだ、という崇高な理念についても語られはしたのですが。

パネリストのひとり、冷泉貴実子さんが赤裸々に語られた、修復や保存、そして相続にかかるお金をどうするかにどれだけ頭を悩ませたか、という話はリアリティがあって、聴衆をひきつけました。今でこそ様々な形で文化財保護に支援があるものの、かつてはそれがまったくなく、京都御苑の隣り、交通至便というロケーションに広い敷地と数多くの文物を財産として持ち続けていくことがどれほど財政的に難しかったか。

「亡くなった母がよく語っていたのは、父が亡くなって相続ということになったとき、税務署の署員たちがうちに土足で入って来て、『相続税が払えないなら、土地財産を売ればよいでしょう』と言い放ったという話です」

御苑とは反対隣りにある同志社大学は、どんどんキャンパス拡張を行っていた頃で、売ってくれないかという話もあったのだとか。

それでも手放さずに頑張れたのは――ひとつには朝日新聞の力添えがあったからだとか。
今回のシンポジウムは朝日新聞社も共催しています。最近、数々の深刻な問題で非難を浴びている朝日新聞は、冒頭の主催者あいさつでもその件で「おわび」をしていましたが、少なくとも冷泉家にとって、朝日新聞は救世主的な存在だったようです。1990年代でしたか、もはやこれまでと思い決めた冷泉家が、「せめて手放す前に世間の人に見てもらおう」と時雨亭文庫を公開したのを朝日新聞が一面で大きく取り上げたことから、保存に向けた大きな動きが始まったのだとか。
私もぼんやりとですが、その朝日の記事、読んだ覚えがあります。「京都のお公家さんの家なんていうと、蔵の中にはすごいものがいっぱいあるんだなぁ!」と、驚くやら羨ましいやらという気持ちになったものでした。

実際冷泉家でもそれまでは、そうした貴重な財産を持っているなどということは、世間に知られれば妬まれるかも知れない、相続問題が深刻になるかもしれないなどという恐れから、できるだけ隠そうとしてきたのだそうです。
「冷泉家なんていうと、十二単でも着て優雅なことばっかりしてると思われるかも知れませんが、私たち、金策に走り回ってばっかりなんですよ」
などとおっしゃるのを聞いて、まあこの方もずい分、恥も外聞もなくお金の苦労話をされるものだと思いましたが・・・。

でも、お公家さんというと、お金はなくてもプライドは高いというのが定説ではありますね。
お金がないということを恥とは思わない――それはそうでしょうけど、でもやっぱり貧しいというのは多くの場合恥ずかしいことととらえられがち。でも、お公家さんたちはホントに違うらしい。
以前読んだ宮尾登美子さんの「伽羅の香」に登場するお公家さんもそうでしたっけね。

さてそして、朝日の助力よりはるかに深いところで冷泉家の人々を支えたのが、「これを手放したりしたらバチが当たる」という信仰にも似た思いだったのだそうです。それは矜持(プライド)と呼ぶこともできるかも知れない思いだとか。
・・・ここで冷泉さんは、満場の東京人たちを前に、「東京にだって素晴らしい武家文化、町人文化があったのでしょうに、ちゃんと保存しないから今はもうない。日本が全部こんなふうにマンションだらけになっちゃったらどうするんですか!」という趣旨のことをしゃらっと言ってのけられて、「いや~、さすが、京都のお公家だよ!」と、私などは内心苦笑いって感じもありましたが。

京都の宝はもちろん京都だけのものではなく、日本の宝なわけですから、国も国民もその保存にできるだけの援助をするべきだと思います。が、一方で、その援助をどの程度行うか、その匙加減(というのはちょっと言葉が悪いかも知れないけれど・・・)は慎重にすべきだとも、私は思ってしまいます。
保護・保存のためのお金を得るために、本来なら公開しないはずの文化財を公開する――これはちょっと意地悪く考えるなら、国から十分な資金援助をしてしまったら、それらの文化財を一般には公開してもらえないかも知れない、ということじゃないでしょうか。

長く保存していくだけの価値があると認められた時点で、そうした文化財はもはや本来の「所有者」たち個人の財産ではなく、広くその文化を共有する人々すべてのものとすべきです。本来の所有者たちの名を記録にとどめ、一定の名誉は認めても、彼らに、公開する、しないを恣意的に決める権利はもはやないのだと思います。
もちろん、宗教的な慣習などによる公開・非公開はまた違う話になるでしょうけれど。

自分の持つ宝を、ほかの人にも広く見てもらいたい。その価値を広く認めてもらいたい。その一方で、その宝が自分のものだという所有欲もまた満たしたい。・・・人間なら誰でも持つ感覚だろうと思います。でも、多くの人はそれほどの宝を持ってはいないわけですが。京都のような宝の多く存在する場所では、そうした相反する気持ちを持つ人々も多いのでしょうね。

そんな状況もまた、「京都人」というものを作り出す大きなひとつの要素となっているように思われるのでした。



ワンクリックで1円の募金。

「東北関東大震災」支援クリック募金イーココロ!クリック募金 



関連記事
tag: 
  1. 2014/09/14(日) 20:12:18|
  2. 遊ぶ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

トラックバック

トラックバック URL
http://lazymiki.blog110.fc2.com/tb.php/1754-1fd3299a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する