本と旅とそれから はなとゆめ/冲方丁

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はなとゆめ/冲方丁

なんだか、懐かしいマンガ雑誌のようなタイトル――でも、雑誌の方は「花とゆめ」なんですね。「はな」が漢字で。
これまで冲方さんの小説は「天地明察」と「光圀伝」を読んでいて、これが三冊目。清少納言の一人称で語られる、平安朝の殿上人たちの物語です。
「はなとゆめ」

はなとゆめ/冲方丁(角川書店)

小説の長さも短めですが、前述の二作と比べると軽めという印象があり、少し物足りなかったかな、という感覚もなくはありません。女性の一人称という形式だったこともあるかも知れません。
それに・・・タイトルが示すように、物語のテーマは「はなとゆめ」。淡く儚く、美しくもとらえどころなく・・・むしろこれが「天地」や「光圀」のように骨太で重量級な物語に仕上がっていたら違和感がありそう、というか、そんなふうには出来上がらないでしょう、って気もします。

同じ頃の同じ舞台の物語では、紫式部を主役にした杉本苑子さんの「散華 紫式部の生涯」(感想文は►コチラ)を読んだことがあります。2年前のことなので、記憶は薄れつつあるものの・・・^^;。
そちらには清少納言も出てきますが、紫式部と清少納言の年の差、活躍時期の差もあってか、思ったほどには登場せず、「な~んだぁ・・・」感をおぼえたりしました。
「はなとゆめ」には、紫式部の「む」の字も出て来ませんでした。彼女が朝廷で名を上げてくる前に「はなとゆめ」の物語は終了するような感じです。

んー・・・あれって、「紫式部日記」にある記述なんでしたっけ?
「枕草子」で有名な、才女の誉れ高い清少納言とはどれほどの麗人かと思っていたのに、実際に見てみたら全然パッしない老女だった、みたいな話。いかにも女同士って感じの、ちょい意地悪な。
容貌はともかく、年が上だとね~、どーしたって不利でしょう、清少納言。才色兼備の和泉式部みたいな人ならともかく、才気に恵まれていると、それへの妬みも入ってくるでしょうしね。

一条帝の寵愛を受けて華やかな日々をおくった中宮・定子が、やがてその寵を彰子に奪われて寂しい身の上になるが、清少納言はそんな定子を支え、慰め続けた――というのが、高校ぐらいまでの古文の授業を通して私が了解していた超アバウトな話でしたが――。
定子が、いわば政敵である藤原道長に追われて不遇をかこつことになるのはその通りですが、一条帝の寵愛を彰子に奪われる、というのは・・・違うのかな。定子と彰子は、定子の方がかなり年上だしね。

藤原道長という人物も、どの視点から描くかで、人物像が全然変わりますねぇ。
本書では敵役。中宮・定子にとっては権力闘争の相手です。といっても、定子の方は権力闘争に関わることはせず、ただただ一条帝への愛に身を捧げ、また自らの一族を守ろうと懸命に努めた、というように描かれていますが。

それにしても、道長と定子って、叔父・姪の間柄でしょー。ホント、この頃って、藤原氏が内部で権力闘争に明け暮れていたのねぇ。「散華」を読んだときにも呆れましたけど・・・。
朝廷とそれを取り巻く人々の世界が、ものすごく狭いという感じです。もちろん、日本という国の地理的な認識すらはっきりしていなかった当時のことだから、「世界が狭い」というのもある程度は無理もないのですが。ちょっとこう、会社だけが自分の世界だと思い込んでいる会社人間の集まりみたいです。

中宮・定子を中心とした朝廷のサロン。
様々な知識や才覚をそなえた女房たちが、その才を駆使して中宮や、朝廷の男たちと交流していくのですが――そうした知識と教養の世界と、政治・・・というか、権力闘争の世界が同時に存在しているというのが、どうにも不思議です。平安朝というと、男も女も恋と歌とばかりに明け暮れていたように見えますが、そんなはずないし~。
後の世の私たちが「読みたい」と思う平安朝の文芸作品が、そうした優雅な一面を描いたものばかりだからなんでしょうけど。おそらくは男性たちが書き残しているだろう、漢文の日記とかは、学者さんが読んでいるのでしょうか。

にしても、衒学的な世界だわ、朝廷のサロンって。
今の世で、あんなに自分の知識をひけらかすような言動ばかりしていたら、疎まれてしまうでしょう。それだけ当時は、学がある、教養があるということが高く評価されていたわけですね。
印刷技術があるわけでなし、本一冊手に入れるのも容易ではなかった時代には、知識を得ること自体が難しかった・・・。そしてもちろん、詰め込みの知識だけではない、和歌の才の豊かさ。さらには、当意即妙の、才気のきらめき。
いずれにしても、文系人間全盛の世界だったのですねぇ。

「はなとゆめ」。
花はいつかは散り、なくなる。人の世の華もいつかは去る。
華が消えたあとの寂しさは、その華が美しければ美しかっただけ大きい。ならば、そんな華は見なかった方がむしろ幸せだったのでは?
定子の全盛期にその傍に仕え、やがてその凋落と死を目のあたりにした後、清少納言はその問いにきっぱりと「否」と答える。たとえ失った後の喪失感がどれだけ大きくても、華を、光を、知ることができたそれが幸せだったと。

それはそうですよね。輝かしい何かを失うことはつらいけれど、だからといってそれを手に入れること自体を拒否するというのは――いや、それはないでしょう。
人は、幸せな思い出から力を得ることができる。思い出が人を強くしてくれる。
その思い出を書き留めたものが、「枕草子」。物語とも日記とも違う随筆という文章のあり方の、出発点のような思い。それが「はなとゆめ」なのでした。


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  1. 2014/12/23(火) 22:00:00|
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