本と旅とそれから ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石/伊集院静

本と旅とそれから

ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石/伊集院静

昨年10月から、耐震工事のために半年間閉館していた「うちの図書館」が、この4月初めからめでたく再開しました。まあ、閉館中の半年間も、別館に行ったり、ネット予約+市役所の出張所受取りなどで本を借りることはできたのですが、やっぱりいつもの図書館が使えることになって、これでまた落ち着いて借り本ライフ(ヘンな日本語~)が楽しめます。

さてその、うちの図書館再開後、初めて借りて来た数冊の中の、最初に読んだのが本書。
「ノボさん」

ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石/伊集院静(講談社)

正岡子規が主役や主要登場人物の小説を読むのはこれが3作目。
ほか2作は司馬遼の「坂の上の雲」と、高浜虚子の「柿二つ」(感想文は►コチラ)です。
「坂の上」は、軍人の秋山兄弟と子規が主役でした。最大の主役は秋山真之かと思えるのですが、まあ、子規を中心に考えれば、子規と秋山真之が描かれたといえ、「柿二つ」は子規と高浜虚子、そして本書は子規と夏目漱石を中心に物語が展開します。

子規の物語は、後半が病気との凄まじい戦いの話になることはわかっているのですが、なぜか迷わず手に取ってしまいました。伊集院静さんの作品を読みたかったということもありますが・・・。
うーん、なんでだろう。NHK版の「坂の上の雲」の、香川照之さんの子規の印象が強かったからかしら。それで親しみを覚えていたのかなぁ・・・?

ともかく。
伊集院静さんの長編小説は初めて読んだのですが、歴史もの(と言ってよいのか・・・)だったこともあり、最初のうち、かなり淡泊な印象で、物語に入っていききれない感じがありました。ちょっと分厚い本だったので、「とりあえず最初はぐいぐい読み進める」ことを心がけました。
そうしたら、半ば予想通り、段々物語世界が馴染んできて、後半に入ればもうあとは「子規の死」を見届けずにはいられないので一気に読了。
そして読後感は思った通り、悲しみ7割、爽やかさ3割ぐらいの感じ。

子規と漱石。
実際の往復書簡なども残っているのでしょうし、大変強い繋がりがあったことは事実なのでしょうね。
漱石が小説家として、文豪と見なされるほどの名を成すのは、子規が死んでしまった後なのかー。子規は、漱石がロンドンに留学している間に亡くなるのですね。

人間として、お互い惚れ込み合っていた――ように、本書の二人の姿は描かれています。
そうだったのかも。それにしても正岡子規という人は、たくさんの人と濃密な友人関係を持った人なのですねえ。交友関係を築き、維持するための作業――手紙を書いたり、会いに行ったり、会いに来た人の相手をしたり――が、人生におけるかなりの部分を占めていた人です。

太く短く、とは、まさに子規のような人の人生を表わす言葉です。35歳で子規は亡くなるわけですが・・・ほんっと、中身の濃い人生だわ。
もしも子規が結核にかからず、何歳か知りませんが、当時の平均寿命ぐらいまで生きていたら?短かったから充実した人生だったわけじゃなくて、きっとさらに驚異的な業績を上げていたのでは・・・。でも、べーすぼーるに血道をあげていた子規のことだ、健康だったらもっともっと野球に時間を割いていたかも。そうしたかった、と、病床の子規が思い描いたこともあったかも知れません。

「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」というのは、伊集院静さんの著書「大人の流儀」の中にある(未読ですが)私の大好きな名言です。日経がネットで調査した「落ち込んだとき元気になるには」というジャンルの名言第一位だったとか。
そんな言葉を記した作家さんだと思えば一層、本書の中で子規の母・八重と妹・律に向けられた同情と労わりの眼差しを感じます。もちろん、子規の闘病生活を知る人ならば、おそらく誰しもが、その凄まじい日々を支え切った女性二人に敬意を覚えずにはいられないのだとも思いますが・・・。

子規はその最期が近づくにつれ、病状が進み、激痛に襲われ、その痛みはモルヒネをもってしてもやがて和らげることが難しくなっていきます。そうなると、子規は、住まいである子規庵中に響き渡る声で「痛い~、痛い~」と叫びだす。何とか痛みが和らいで子規が叫ばなくなるまでの間、子規庵の空気は耐えがたいものとなるのだった、と作中にありました。

子規庵ではそんなことがしょっちゅうなのです。
自分の愛する息子が、兄が、まるで拷問を受けているように苦しむ姿を目の前で見ていなければならない。その恐るべき苦しみを、何年にもわたってこの母と妹は耐え抜くのです。何という強さ。本当に、平伏し拝みたいほどの敬意を感じます。

漱石は、子規と比べれば体の方は健康でしたが、それでもノイローゼにかかったり、ロンドンに留学したときもいろいろ大変で、苦しい日々を過ごしたのですね。そんな中でも子規との手紙のやりとりに心が安らぎ、手紙など書いている余裕のない日々の中でも、子規への手紙だけは書く。
子規と漱石という二人の天才の間に、こうした篤い友情があったというのも、後世の私などが振り返ればちょっと奇跡的に思えます。天才同士って、なんか、衝突するのがお定まりって気がしてたので。

明治という時代の強さは、この清廉なこころ、自分の信じたもの、認めたものにむかって一見無謀に思える行為を平然となす人々がまだあちこちにいたことが挙げられるかもしれない。何よりも清廉、つまり損得勘定でうごかなかったところに行動の潔さがあった。 


などというくだりは、「坂の上の雲」と重なるものがあります。懸命に坂を上って行って、上りきったところで見上げる空に一片の白い雲が――というのが、「坂の上」の明治の空気だったんですよね。
今はもちろん、空想でしか見ることのできない明治時代ではあります。それでも、現代の「文芸」の中に、子規や漱石が確かに生きているというのが、本当にすごいことです。


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  1. 2015/04/22(水) 22:00:02|
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