本と旅とそれから 恍惚の人/有吉佐和子

本と旅とそれから

恍惚の人/有吉佐和子

有吉佐和子さんの代表作のひとつである本書を、今になってようやく、本当にようやく読みました。

素晴らしい。
本書が発表されたのは1972年(昭和47年)。今から44年前です。
この本は、当時の日本の高齢者福祉、中でも認知症高齢者の問題への取り組みが遅れていることを指摘して、社会的に大きな反響を巻き起こしたのだそうです。小説としてもベストセラーになったのだとか。
恍惚の人

恍惚の人/有吉佐和子(新潮文庫)

ちょっと大げさかとは思いますが、ある人がその人生の中で、ある本を読んで最も感動できるタイミングなどというものがあるとするなら、私と本書にとってのタイミングは今ではないかと思うのです。

ひとつには、昨年亡くなった父が、倒れてすぐに認知症の症状を発症し、亡くなるまでの2カ月に恐るべきスピードでそれが進行した、という経験した後だということ。

父の最期の日々を詳しく書くことは、いろいろ思うことがあってまだ(というかいつまでも、かなぁ・・・)できませんが、突然襲ってきたその重大な事態にうろたえてしまう家族の心境は自分のこととして強く共感できますし、そのほかにも、本書に描かれた様々なことが、ひとつひとつ頷けるし、容易に共感できました。

もうひとつは、つい先日、仕事で認知症高齢者の分野に数日関わったばかりだということ。
その仕事を通じて、認知症介護の現場を見る機会を得ましたし、また、専門家のレクチャーをうかがって、関連知識をいろいろ学ぶことができました。
たとえば、認知症の患者さんは、30秒の即時記憶と遠隔記憶のみ残るという症状に陥るのだとか。この30秒という具体的な数字が、私が抱いていた「認知症の人は物を覚えられない」というぼんやりしたイメージを鮮明化しました。そしてもうひとつ、しかし「情動記憶」は残るのだ、ということ。それはつまり、具体的な物事を記憶することができなくても、その時に感じた「嬉しかった」とか「嫌だった」といった感情は覚えているものだ、ということです。だから、認知症の人に対して、物を記憶できないと指摘して叱るようなことをすると、その時のネガティブな感情だけは忘れられず残ってしまうというのですね。

それやこれやの経験や知識を経て今、本書を読んで、何やら万感迫る思いがあります。
それでも、「もっと早く読んでいたかった」という思いもあるので、まあ理想としては、数十年前に一度読んで、今また読み直せたらよかったかしら。とにかく、ようやく読めてよかったわけですが。

さて、昭和47年頃の日本。認知症という言葉はまだなく、痴呆症という言葉すらさほど知れ渡っているわけではなく、例えば徘徊という言葉などが、ほとんど専門用語を紹介するように登場します。
主人公は、高校生の息子を持ち、共稼ぎで頑張る昭子。40代後半・・・ぐらいの設定だったかな?ある日、その昭子が仕事から帰ってみると、同じ敷地の別棟に暮らしていた姑が急死しているのでした。それだけでも気が動転するというのに、ふと気づくと残された舅・茂造の様子がおかしい。
そこから、認知症の舅を抱えた昭子の日々が綴られていきます。

今日でも認知症の問題は深刻ですが、それでも今ならばヘルパーだデイサービスだと選択肢があります。少なくとも、市役所にでも駆け込めば、その選択肢について教えてもらえることでしょう。それが40年以上昔には、昭子はいったいどこに助力を求めたらよいのかわからず、近所のお年寄りや老人会の世話人など、思いつく人に片っ端から話を聞きに行くのでした。その一方で、彼女の夫ときたら、実務的なことではさっぱり役に立ちません。変わり果てた父親の姿にショックを受け、自分もやがてああなるのだろうか、懸命に生きてきてその果てにあんな姿が待っているのか、と滅入るばかり。

実は、舅が元気な頃、彼は嫁である昭子を散々苛めていたのでした。それが、認知症になって以降、実の息子や娘の顔も見忘れた中で、昭子のことだけはしっかりと覚えているのです。

日に日に異常な行動がひどくなっていく舅。夜中に何度も目を覚まして昭子を求めて叫ぶので、睡眠すらろくにとれない日々。いったいこの先どうなっていくのか。これがいつまで続くのか。
・・・それなのに、昭子は決して投げ出さない。仕事だって辞めません。
これは――おそらく、今日ではもう消滅してしまったのではと思われる、昭子の中にある嫁としての義務感、社会の中で自分が求められている役割を認識し、それを果たそうという強い責任感なのでしょう。今現在の道徳観だったら、こんな状況に置かれて、なお頑張る人なんて・・・40代で・・・いるかしら?

絶望しかける中、ある時点で彼女は開き直ります。
おじいちゃん(=舅)にできるだけ長生きしてもらうのだ。そのために全力を尽くす。そう心に決める。
・・・その時の昭子の気持ちが、父のことがあった今、私にもとてもよくわかる気がするのです。その時の、身の内に湧き上がってくるわけのわからない力と、同時に溢れるような切なさ。誰に認めてもらえなくても、褒めてもらわなくても、ぜんっぜん構わないよ!みたいな、やけっぱちの献身、とでも言いますか・・・。

しかし、舅・茂造は、昭子が世話をするようになって半年ほどで亡くなるのでした。

認知症、家族、老い、死、女性の役割・・・重い要素を数多く含んでいながら、それでもなぜかどんよりとはしなくて、何かこう、「ああ、人はでもいずれ、死によって救われるんだな」とでもいうような、透明感のある軽やかさが感じられるように思います。

ふと思い立って、本書の英語のタイトルを調べてみました。
"The Twilight Years"
・・・ふぅ~ん。まあ、茂造おじいちゃんは"years"っていうほど長生きしなかったんだけれども。
でも、この、微かな光を感じさせるタイトルは悪くないような気もします。




有吉佐和子作品は、本書以前には「華岡青洲の妻」、「和宮様御留」、「非色」の三作しか読んだことがありませんでした。読みたいと思っていながら何となく読まずにきてしまった作品がいくつかあって、そのひとつが本書。読み終えてつくづく、読みたいと思ったら、さっさと読んでおいた方がいいと思いました。
物語と同じ時間にいる間に読みたいな、と。

といっても、昭和47年の作品である本書は、44年も隔たった現在読んでも、全然違和感はありません。
そう、だからここでも、二度読みたいということになるのですよね。リアルタイムで読み、時間が経ってまた読む。「華岡青洲」や「和宮」のような歴史小説はあまり時間の経過が影響を与えないと思いますが、本書のような社会問題を扱ったものは、時間の経過分だけ社会が変化するので、そのギャップが興味深さを増すのじゃないでしょうか。

というわけで、近々読みたい本のリストに有吉作品がいくつか載っかりましたが、最近少々本読みに熱心になっているので、もうちょっと先の話になるかも知れないんですけどね。


webcitron01.gif


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  1. 2016/03/11(金) 22:00:02|
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私にとっても、いつか読もうと思っていてまだ読んでいないうちの1冊です。
そっか、自分の人生の範囲内で振り返ることができる程度に近いけど、現在とは社会情勢が全然違う過去が背景なのに、時の経過をもっても古びないストーリーなんだね。
主人公の昭子さんのように生きることはまずできないと思うけど、人生のこの時期に読んでおきたいとあらためて思いました。
  1. 2016/03/27(日) 14:22:04 |
  2. URL |
  3. しの #2nAugjbc
  4. [ 編集 ]

しのちゃん、

是非とも読みたいんだけれど、いつでも読めると思って読まずに今に至っている本って、意外とあるよね。
「恍惚の人」は名作だよ~。でも、例えば10代の若者が読んでも、もしかするとピンとこないかも知れない――作中、祖母の介護をする孫というのも出てくるから、まあ、いろんなケースがあるかも知れないけど。
親の高齢化というものに直面するこのタイミングで読むと、本当に物語にリアリティが感じられます。
  1. 2016/03/29(火) 20:52:48 |
  2. URL |
  3. lazyMiki #Dud4.962
  4. [ 編集 ]

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