本と旅とそれから 珍妃の井戸/浅田次郎

本と旅とそれから

珍妃の井戸/浅田次郎

浅田さんの「蒼穹の昴」を読んで以来、ずっとちょっと気になっていた1冊。
それにしても、ここまでしっかり同じ世界に展開する物語とは思いませんでした。「蒼穹の昴」主人公・春児もあちこちにちょこっと顔を出し、いかにも「番外編に登場する本編の主役」らしい、カッコいい、でもインパクト的にはいまひとつの描かれ方をしています。
珍妃の井戸

珍妃の井戸/浅田次郎(講談社文庫)

珍妃(ちんぴ)とは、西太后の甥で清国皇帝・光緒帝の側室。光緒帝には正妻である皇后と二人の側室がいましたが、この二人の側室は姉妹で、妹が珍妃です。この珍妃が、清朝末期の義和団事件の最中に、紫禁城の中の井戸に落とされて殺害される、その犯人が誰なのかを探す、というのがメインのストーリー。殺害現場に居合わせた(らしい)6人と、アメリカ人新聞記者1人のそれぞれが一人称で語る形式になっています。

それにしても、この珍妃の殺され方がむごたらしい。
井戸に落とされるというのですが、その井戸が、ものすごく細くて、女性でもストンと落ちるだけの幅がないらしいのです。つまり、途中で詰まってしまうぐらい狭いというのですよ。そこに、頭から落とされる――というより、押し込まれる。おそらくは、おぞましい虫だのサソリだのがうようよしているらしいところのようで。やれやれ。さすが、西太后時代の中国だ。

中国の歴史的常識では、珍妃は西太后に殺された、ということなのだとか(巻末解説によれば)。私も、香港映画「西太后」の印象が強いので、「そうなんだろーな」と思っているのですが。
でも、浅田さんの西太后は全然そうではありません。愛情深く思慮深く、自らを歴史の犠牲にして清朝の幕引きを図る人物として描かれています。
まあ、そう簡単にそれを信じる気にもなれないのですが、でも、史実はさておきと切り替えれば、中国史をロクに知らないことが幸いして、それはそれで楽しめます。

関係者がひとりひとり、自分の見た「珍妃の死」を語るのですが、同じ事件を目撃しているはずなのに、それぞれが名指しする「犯人」が皆違う。どうやら、誰もが、それぞれの思惑があって嘘をついているということのようなのですね。
で、これまた巻末解説によれば、この形式は芥川龍之介の「藪の中」という小説と同じなのだとか。本書を読んでいて、「こういう形式って、前に何か読まなかったっけ?」という感じがずっとつきまとったのですが、ただ、私は芥川の「藪の中」を読んだ記憶が――ないんですよね。でも、高校生ぐらいの頃、芥川もかなり読んだからなぁ…はっきりとは覚えていなくても、実は読んだことがあるのかも。

もひとつ思い出したのが、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」。これは、人間は心の持ちようによっては、見えていても認識されなかったり、見ていないものを認識したりする、みたいなことがミステリのカギになっています(いい加減な説明ですが)。本書で語る人々も、人によっては「嘘をついている」というよりは「事実ではないけれどその人にとっては真実」なことを語っているように思われる迫真の語り口です。

一番怖かったのは、珍妃の実の姉である瑾妃が殺させた、と語る袁世凱の話。珍妃は絶世の美人、しかし実の姉である瑾妃は小太りの不美人だったそうで、二人一緒に側室として輿入れしたのに、妹は皇帝に溺愛され、姉は見向きもされなかったのだとか。そのことを、姉はそれまで黙って受け入れているようだったのに、義和団の暴徒が迫る中、瑾妃は突如、実の妹を殺せ、と大声で命じる――。その描写が怖い!

思うに、この物語の重要要素のひとつは、この「井戸」ですね。珍妃がもし、銃で撃たれて、あるいはバッサリ斬られて殺されたのならば、物語にここまでの凄味が添えられることはなかったような気がします。というか、井戸がふつうの大きな井戸だったら、やっぱりここまで怖くなかったでしょう。井戸に身を投げて殺されたり自殺したりというのは、時代小説ではよく出てくる話です。
それがあの、珍妃井ですもの。

光緒帝は何してたんだか。いくら権力者にして義母の西太后の前とはいえ、誰より愛しい女性が、目の前でそんなむごたらしい目に遭わされるのを、ただ見ていたのか!
到底理解できるものではありません。

「蒼穹の昴」のような大河ドラマの風格はありませんが、その番外編として、「蒼穹の昴」の風を少し感じながら、何とも切なく、そして最後まで霞の中、みたいな物語でした。


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  1. 2016/07/08(金) 22:00:01|
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