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不慮の事故に遭い、目が覚めると、脳の一部が他人から移植されていた。
時が経つにつれ、身体は回復していったけれど、段々と自分が自分でなくなっていくのが感じられる――いかにも東野さん風な、面白くも恐ろしいお話。
変身/東野圭吾(講談社文庫)話の中に、どこの誰とは明示されないながら、社会の長老と目される人物たちが、自分たちの寿命の終わりが近づくにつれて、命を長らえる手段として脳移植に大きな期待をかけているのだ、という研究者の言葉が出てきます。
この小説の初出は1993年ということで、今から25年近く前。その頃はもしかすると、脳移植というものはまだ現実感のないものだったかも知れません。
でもつい最近、ネットニュースでそんな話を読みました。ロシアの大富豪――か何かが、不老長寿の手段として自分の脳を誰かに移植する手術を受ける予定だったけれど、まだ確実性が低いのでやめた、とか。
ロシアの大富豪じゃなくて、ロシアの外科医だったかも。
それで、キャンセルした人に代わる移植希望者がいるので、いずれ手術は行われる予定だ、というようなことが報じられていました。
小説の中で、主人公の青年は、ある人をその人たらしめているのは脳ではないのか、だから脳が自分のものでなくなってしまったら、それはもう自分ではない、というようなことを考えます。
脳は特別な臓器なのだ、と。
それはそうでしょう。
そもそも、身体のあらゆる臓器を動かしているのは脳だし。考えるのは脳の働きだし…たぶん。
その脳の一部に他人の脳が移植されて、それが自分の脳に働きかけて、自分の脳を乗っ取ろうとしているのが感じられれば――。
怖いでしょうねえ。そして悲しいでしょうねえ。
主人公が迎えた結末は、哀れだけれど、十分理解できると思いました。

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東野圭吾
- 2017/11/25(土) 22:00:00|
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